【冬至の季節】陰極まるのは、自分らしさに向き合うタイミング

心が揺さぶられる出来事は、心身ともにとても大変なのですが、もうだめだということが底をついたときに、今まで知らなかったこと、気が付かなかったことが日が昇るように分かってくるタイミングだと思います。
塚田ひろみ 2024.12.24
誰でも

この季節になると、いつも冬至のことを書いている気がします。

陰極まりて、陽に転じる。

闇が底をついたときに、光が差してくる。

いつもそんな心境になる出来事が起こるのも不思議です。

今年はちょっと遅れて、そんな冬至らしい心ゆらぐタイミングがやってきました。

もう何年も「自分を責める」ということをしないで過ごすことができていましたが、同時に「自分らしくある」ということにもちゃんと向き合っていなかったようにも思います。

何年も穏やかな状態が続いていて、そこまで深く潜っていけない自分がいたからだと思うのですが、昨日は久しぶりに、感情が動く出来事がありました。

どうしたらいいんだろう?もうだめかも。

と思ったところからが、陽転のタイミング。少しずつ冷静になって、どう在ればいいのか?ということが、ちょっとずつ分かってきました。

ただ、眼の前で起きている出来事を、そのまま受け止めて、そのまま反応する・表現する。そういう単純なことなのですが、全然出来ていなかったことに改めて気が付きました。

自分の中にある恐れ(反論される、誰かを怒らせる)、相手の反応を予測して先回りした思考、自分を守りたいという気持ちやらが、「どう反応したらいいか?」を考えて、「こういう風に、言葉にしよう」という答えを導き出していたみたいです。

感情を乗せないフラットな冷静さ、バランス感覚、率直に伝えられるシンプルさ。相手に気付きをもたらせることができる応答。それが自分の良さでもあるのに、このままだとその能力使えないなぁと思いました。

冬至の季節は、毎年記事にするだけあって、自分とって大事な気付きをもたらしてくれる大切なタイミングなんだと思います。

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