息苦しさを解消してくれる「ビジョナリー」な存在
福岡旅行の朝ご飯で食べた、白金茶房のコーヒー羊羹が半年近く経っても忘れられず、、、週末は羊羹づくりに勤しんでおりました。
素材はいいものを揃えたので、味は間違いない感じになりましたが、寒天とあんこと水分のバランスが明らかにおかしい感じになり、これは、コーヒー風味のあんこ。。。また近々頑張りましょう、という出来具合でした。今晩、コーヒー大福の中身にでもしようと思います。
最近取り寄せたこちらの本の方は、想像以上におもしろくなりそうな内容で、少しずつ読み進めています。
全体の内容としては、今も流行っているのかはビジネスの世界からのアートのニーズに応えるような内容かと思いますが、子どもたちの創造性教育・主体性、人間のライフスタイルや文化の豊かさなどにもとても参考になりそうです。
冒頭、「ヴィジョナリー」という言葉が出てきます。アーティストという存在は、人間社会に新しく、先を行くような視点を与えてくれるという意味で、「ヴィジョナリー」なのだと。
ヴィジョナリーという言葉、私としては、20歳前後に読んでいた『ヴィジョナリー・カンパニー』というビジネス書がどうしても浮かんできてしまいます(最近では、もう少しスピリチュアルな言葉として使われているようですが)。
『ヴィジョナリー・カンパニー』の中で、あるいはその当時、3MやIBM、P&Gなどの企業がとてももてはやされていたことを思い出します。おそらく、最近の潮流とは違うのでしょうが、通常の論理の延長線で考えれば間違いと思えるようなことを、英断として行い、その結果、企業そのものも良い状態になったというストーリーは時代が変わっても変わらないものなのかもしれません。
歳を重ねるごとに、そうした英断の難しさのリアリティを、特に、大規模な企業や、伝統的な企業の中で行っていくことの難しさも感じるようになりました。
今はどちらかというと、対局からみるというより、詳細を紐解くような本に興味が湧いています。
なにか息苦しい感じを、社会、企業、人間関係に感じるとき、少し違ったアプローチ・提案・意思決定というのは、あたらしいスペースや空気など、それを解消するほっとするような価値を提供してくれるのかもしれません。
アーティストとは、日本ではまだ少し違うかもしれませんが、様々な場所を転々とし、そうしたヴィジョナリーで、快適な、新しい価値を提供する人として、とても重宝される存在のようです。
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