想像を生きるのは人間の特権

子どもと高齢者、ときに障がいを持った方々に対して、どうやって触れるのが正解なのだろうか?これでいいのだろうか?と悩む声を聞きます。
それは、「この子、この人にとって悪い方向に行かないか?」という愛情という不安なのですが、そんな悩みにヒントをくれる記事と活動に出会いました。
塚田ひろみ 2025.01.18
誰でも

小さなこどもと、高齢者というのは近しい存在だと思うのですが、

それは人生を線ではなくて、円環なのだと考えると、はじまりと終わりは最も近いところに位置するからで、人生の終盤は生まれたてのときの感覚に戻っていくのではないかと思う時もあります。

昨日も触れたこちらの記事の、とっても興味深いところのもう1つには、そんな高齢者との関わりがあります。

認知症の方の、間違いに付き合ってあげるかどうか?

本当は、息子じゃないけど、息子だと思って話しかけられたときに、息子として振る舞うかどうか?

もし、そんなことをしたら、認知症の方にとってマイナスにならないか?もっと悪い方向にならないか?

そんな心配をしながら、でも、間違いに付き合ってみた体験としての結論は、「付き合って良かった」ということが書かれています。

これが、小さな子どもだったら絶対に一緒に付き合って、一緒に空想の世界を拡げて、ちょっとした言い間違いなんかは、いちいち指摘していたら子どもが嫌になっちゃうから、そこそこにして。

そうやって遊ぶと思うんですが、子どもと高齢者が近しい存在なら、そうやって一緒に想像を愉しむのは大いに豊かなことだなと思います。

間違いは、間違いじゃなくて、きっかけ、ということはどの世界にもありますし。
そうじゃないと、きゅうくつでしょうがないし、不完全な人間は生きていられなくなってしまう。

想像の中を生きるというのは人間の特権なのだなぁと考えた文章でした。

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