「感性」と「知性」は切り離せないもの

「感性を育てるには?」そんなことを考えていました。答えはまだしっかりと言葉に成りませんが、その一端を書いていこうと思います。
塚田ひろみ 2024.12.01
誰でも

昨日、感性とはどういうものなのか?ということについて、私が感じている一つのことを書きました。

「感性」という言葉は、私が生きていて、度々出会うキーワードで、大事なものなのだと思います(その他には、才能(隠れた才能)、現実化など)。

「感性はどうやったら働かせることができるのだろう?」ということも改めて考えるようになり、「これだ」という答えはまだ言語化出来ていませんが、「感性」と「知性」とは切り離せないもの、という事が浮かんでいます。

***

どちらが大切かという議論になりがちですが、二つとも一緒に育っていくものだと思います。

そう考えるのは、MoMAで生まれ、その後学校の教育でも取り入れられるようになったアート鑑賞のフレームワークを学び、自分でも10年ほど実践してきた経験からです。

アート作品の中に、何かを見出す、物語を紡ぐような行為や、それを正解かどうかを関係なく発話してみるということは、

「それでいい。自分の考えたこと全てが正解」

という感性の部分を養っていく部分。

でも、それはまずきっかけの1歩。

違う誰かの発話を聴くことで、別の新たな解釈を生み出す行為、ファシリテーターの誘導によって、「なぜ、自分はそう考えたのだろうか?」という思考をしていくのは、きっと知性の部分。

その2つがあるから、これは本当にいつも「楽しかった…!!」「今までにない体験だった」「またやりたい」という参加者さんの声が絶えません。

今日は、そんなアートを通した対話のイベントの日で、素敵な一日になります。

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